太古から食されてきた「シカの刺身」は、愚行権を行使して味わう禁断の美味さ

シカの刺身

「シカ肉を刺身にして食べていいですか?」
狩猟ツアーを行っていると、お客様からよく聞かれる質問です。 その質問に対して、私の公式回答はこうです。「生食はいけません。厚生労働省のガイドラインでは『中心温度75℃で1分以上』の加熱が推奨されています」 しかし、私はいつも次のように話を続けます。
「……ただし。私たちには『愚行権』があります」
リスクがあると分かっていても惹かれる「生食」の魅力。 今回は、そんな「シカの刺身」についてお話をします。

目次

食中毒リスクと愚行権

まず前提として、シカ肉の生食には、食中毒のリスクが伴います。
代表的なのは、馬肉などにも含まれることがある「住肉胞子虫」という寄生虫。
これに感染すると、下痢や嘔吐などの症状が起こることがあります。

恐ろしいE型肝炎のリスク

特に警戒すべきは「E型肝炎」でしょう。
先の「住肉胞子虫」の場合、-20℃で48時間以上冷凍すると死滅するとされています(そのため、馬肉は生で食べられている)。
しかし、E型肝炎の場合は冷凍しても死滅することはありません。
しばしば「獲れたてだから安全」と考える人がいますが、どれだけ新鮮な個体であってもウイルスを保有している可能性があります。
たとえ表面だけを炙る「たたき」の状態でもリスクを回避することはできず、最悪の場合、「劇症肝炎」により死に至る危険性もあります。

危険な行為をあえて行う権利

こうした致命的なリスクが存在する中で、それでも私が口にするのが「愚行権」です。
「愚行権」とは、たとえ他人から見て愚かな行為であっても、それが他者に危害を加えない限り、個人の自由領域として認められる権利のこと。
現代の日本には、個人が何を食べるかを規制する法律はありません。
毒キノコを食べようが、フグの肝を食そうが、それは個人の自由であり、その結果に対する責任もまた個人にあります。
私自身はプロとして、お客様にシカの生食をおすすめすることは絶対にありません。
しかし、プロである限り、「ジビエの生食は違法である」や「シカの刺身は美味しくない」という嘘をつくことも、絶対にしません。

古代のご馳走「膾」はシカの生肉だった!?

お正月などの祝い膳には、決まって「なます」が提供されます。 現在の漢字は魚へんの「鱠」が一般的ですが、古くは、月(にくづき)の「膾」という字が用いられていました。
その字の通り、「なます」はかつて、酢や醤(ひしお)などで味付けをされた「獣肉」の料理だったのです。

祝い膳につきものだった、シカ肉を使った「なます」

当時、「膾」の本場である古代中国では、主に牛や羊が使われていました。
一方、牧畜が盛んでなかった日本においては、野山で捕獲できる新鮮な獣である「シカ」が利用されていました。
実際、「日本書紀」や「古事記」にも「シカの膾」に関する記述が残っています。
「シカの刺身」に魅了されるのは、決して現代人の好奇心だけではありません。
古代の日本においても、新鮮なシカ肉は神聖な「ハレの日のご馳走」だったのです。

「山マグロ」と呼ばれる魔力

太古からシカの生肉が好まれていたように、シカの刺身の味は一言でいえば「美味しい」です。
イノシシが「山鯨」と呼ばれるのに対し、シカはさしずめ「山マグロ」。
上質な赤身のマグロのようなコクがあり、一部の狩猟者を虜にする魔力があります。

半解凍のまま薄切り(ルイベ)にする

シカの刺身については、実際に私自身も、何度も食べたことがあります。
シカ肉は火を通しすぎるとレバーのような鉄分の匂いが出ますが、生の状態だと驚くほどクセがなく、ねっとりとした旨みがあります。
食べる際は、「住肉胞子虫」対策として一度冷凍し、半解凍の「ルイベ」状態でいただきます。
薬味としては、おろしショウガと、九州醤油のような甘めのタレがおすすめ。
「膾」のように酢とも相性が良いため、塩胡椒したうえでオリーブオイルと「バルサミコ酢」をかけると、上品な味わいになります。

現代の最適解「低温調理」

シカ肉は、イノシシ(ブタ)などの他ジビエに比べて、比較的重篤になる食中毒リスクは低いと言われています。
しかし、そのリスクは「低い」だけであり、「ない」わけではありません。
また、「知られていない」だけで、未知の食中毒菌が保有されている可能性もあります。

そこでおすすめなのが「低温調理」です。
温度管理をしてじっくりと時間をかけて火を通すことで、生肉と遜色ないしっとりとした「山マグロ」の食感を再現することができます。

それでもなお、この安全な選択肢を捨ててまで、あえてリスクのある「なま」にこだわりたいという人は……。
もはや何も言いません。
あなたは単純に「食したい」のではなく「冒険がしたい」のでしょう?
人の好奇心に蓋をすることはできません。
私はただ、その覚悟を決めた後ろ姿を、そっと眺めるだけです。

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