「怪」。それは、気のせいや、単なる勘違いなのかもしれません。しかし自然の中には、現代の科学技術では解明されていない様々な『不思議』が、いまだ存在するように感じます。
今回は私が体験した、狩猟でであった少し不思議な出来事について、いくつかお話をしたいと思います。
霧の鹿
その日は薄っすらと霧がかかった日だった。
早朝から車で流し猟をしていたが、獲物の姿はなく、森は不気味なほど静まりかえっていた。
私は最後の望みをかけて、あるポイントに訪れた。
ここは片側が谷になっている道路なので、獲物がいれば反対の急斜面を登って逃げるしかない。
必然的に獲物の足が遅くなるので、絶好の狙撃スポットになるのだ。
周囲を観察しながらゆっくりと車を進める。
やはり獲物の姿はどこにも見えない。
しかし、諦めて道を引きかえそうとしたそのとき、目の端にシカの姿が映った。
シカはわずか数メートル先に居た。
銃を取り、急いで車から降りよう・・・としたが、ふと奇妙な感じに襲われた。
(霧が出ているとはいえ、これほど近くにいたシカを見つけられなかったのは、なぜだろう?)
わたしは静かに観察してみた。
それは確かに三又の角を持つ立派なオスジカのように見える。
だが・・・その輪郭は、まるで霧のようにボンヤリとしている。
その”シカのような何か”は、斜面へ向かわずに車の前を走っていく。
そして、そのままスーっと霧の中に溶けていった。
あれはシカの霊だったのだろうか。
これまで霊という存在を見たことはなかったが、恐ろしい気はまったくしなかった。
むしろ、人間を見て逃げているところから、「霊になってもシカはシカなんだな」と思った。
草刈機の音
「ボサッ」と木の実が落ちる音。
「ギィッ」と竹がしなる音。
「バサッ」と鳥が飛び立つ音。
山の中では色々な音が聞こえる。
しかし山の中ではときに、聞こえるはずのない音が聞こえてしまうこともある。
猟期が始まったばかりの秋口。
この季節は鹿笛を使ったコール猟が効果的だ。
この日は猟場開拓もかねて、新しい山に鹿笛を持って入った。
しばらく山の中を歩いてみるとコール猟に最適な場所を見つけたので、荷物を降ろし、木にもたれかかって息を整えた。
「フィー~ヨ~・・・フィー~ヨ~」
”少し弱そうなシカ”をイメージして鹿笛を吹いてみる。
近くにオスジカが居れば、ナワバリを荒らされたと勘違いして『鳴き返し』をしてくるはずだ。
「フィーーーーッ!」
5分掛からず鳴き返しがきた。
コール猟はここからが肝心。
うまく相手を”イライラ”させて、怒って向かってきたところを狙撃する。
「フィー~ヨ~・・・」
こんどはさらに弱々しいシカをイメージする。
相手のオスジカに「こいつなら勝てる」と思わせて吹く演技力が必要だ。
「ブィィィンッッ!!」
なんだ?草払機の音だ。
なぜこんな山の中で草刈りをしているのだろうか。
人が近くにいたらマズイ。
しばらく待って様子を見ることにした。
数分経った。
草刈機の音はしない。
試しにもう一度、鹿笛を吹いてみる。
「ブィィィンッッ!!」
また草刈機の音だ。
明らかにこちらの鹿笛に反応して音がする。
ということは、これは特殊な鳴き声をするオスジカなのかもしれない。
すごい声で鳴く鹿がいるもんだ。いったい相手はどんなデカさなのだろうか。
せめてお目にかかりたい。
さらに鹿笛を吹いてみる。
「ブィィィンッッ!!」
草刈機の音が次第に近づいてくる。
「ブィィィンッッ!!」
(何か変だ。)
何度か鳴き返しを聞いて、不思議なことに気が付く。
今の鳴き返しは、20mほど手前から聞こえてきた。
しかし、目の前には何もいない。
この声の主は、シカではない”ナニカ”のようだ。
(厄介なものを引き寄せてしまった。)
すぐさま荷物をまとめてその場を離れた。
私はそれ以来、その山に入ることはない。
音の正体も未だわかっていない。
化かされる
私の祖母は、よく化かされる人だった。
その数は、両手の指では数え切れないほど。
これは祖母の若いころの話。
祖母が畑で仕事していると、リスが近寄ってきた。
ピョンピョンと可愛く飛び跳ねるリス。
「捕まえて帰ったら子ども達が喜ぶかも」と思った祖母は、バケツを被せてリスを捕まえた。
バケツの隙間から中を覗いてみる。
「あれ?リスが入っていない。」
不思議に思っていると、すぐ近くで2匹のリスが跳ねているのに気がついた。
「今度こそ」
祖母は1匹のリスに狙いを定めてバケツを被せた。
「今度こそ捕まえた!」
しかし・・・バケツの中にリスはいない。
そして近くを見てみると、今度は5匹のリスが跳ねている。
1匹が2匹。
2匹が5匹。
5匹が10匹。
そして、自分が化かされたことに気づいたころには、見渡す限りリスが跳ねまわっていた。
祖母は慌てて逃げ帰った。
そして翌日、畑に行ってみると、昼めしに持って行った弁当が食い荒らされていたそうだ。
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またあるとき、祖母は山で道に迷ってしまった。
いつも歩き慣れた山道のはずが、どう行っても同じ場所に出てしまう。
歩き疲れたので腰掛ける。
そして水を飲んでいると、突然何者かに声をかけられた。
「うまいかい?」
目の前には生首が逆さまになって浮いていた。
驚いた祖母は腰を抜かした。
すると生首は、フっと消えてしまったそうだ。
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ここまでは祖母から聞いた話なのだが、実を言うと私も祖母と一緒に化かされた経験がある。
その日、私は早朝からタケノコ堀りをしていた。
いくつかを祖母に差し入れしようと思い、そのまま祖母宅を訪れる。
そして包みを開けると、奇妙なことに気が付いた。
タケノコがすべて腐っていたのだ。
「なんだい、傷んだから持ってきたの?」
祖母はあきれ顔をしていたが、「確かに今朝掘ってきたものだ」と弁解。
「それはタヌキの仕業だね。」
祖母からは何度も化かされた話しを聞いていたが、まさか私自身も化かされるとは思わなかった。
私はこのとき以降、タヌキのことが好きではない。
妖刀
それはもともと単なるナイフだった。
刃幅が狭く扱いやすかったので、長らく止め刺しに使っていた。
そんなある日、ナイフの傷んでいるところを手入れすることにした。
丁寧に研いで錆びを落とす。
これまで使ってきた経験から、より細身の方が止め刺ししやすいと思ったので、研ぎ込んで刃幅をさらに細く仕上げた。
最後に、錆止めの油を塗ろうとしたとき、ナイフの刃が指にスッと触れた。
「ッ!!!」
尋常じゃないほどの痛みに息を飲んだ。
普通、よほど深く指を切ったとしても、痛みはじわじわと強くなっていくものだ。
しかし今回は、傷口に唐辛子を練り込まれたかのように激痛だ。
呻き声が漏れる。
心臓の鼓動に合わせるように、痛みはズンズンと強くなっていった。
あまりの異常事態に冷や汗をかきながら考える。
(何か毒のようなものが付着していたのだろうか?)
いや、ありえない。
刃は研いでいるときにしっかりとすすぎ、油を塗るために水分は完全に拭き取っていた。
たとえ油が傷口に入ったとしても、こんなに酷い痛みを感じるはずがない。
ふと、昔聞いた妖刀の話を思い出した、
「妖刀には怨念が込められている」
妖刀で切られた相手は、わずかな傷であっても激痛を感じ、悶え苦しんで死んでしまうという。
私はこのナイフでこれまで500頭以上の獲物を刺してきた。
もしかするとこのナイフは動物の怨念を吸って、妖刀になりつつあるのか。
もしくは、すでに妖刀になっているのではないか。
幸い痛みは徐々に引き、傷口も癒ていった。
しかし、私はこのナイフを使わないことにした。
ナイフは未だに家にある。
何かあっても困るので写真も載せないことにする。
(※上の写真はイメージ映像です)
オクヤマの杖
猟師仲間の間で「オクヤマ」と呼ばれる山がある。
昔から、この山を買った家は没落するという”いわく”があり、地元の人が近づことはほとんどなかった。
そんなオクヤマは、獣のパラダイスであった。
ちょうど今頃の時期だと、シカは水場近くの涼しいところでウトウトしており、イノシシは四六時中、あちこちを掘り堀りしている。
私は一時期、そんな楽園っぷりにドハマりし、オクヤマに足しげく通っていた。
しかし、山の半分を知ったか否かのころ、事故が起きた。
突然足元が崩れて谷に滑落したのだ。
幸いなことに死んではいなかった。
銃も無事。ただ、足首が痛い。
折れてはいないが、どうやら捻挫したようだ。
谷底から這い上がって車まで戻るのはかなりツライ。
携帯を取り出すと電波が入るか否かぐらいのレベルだったので、知り合い猟師にメールをする。
「オクヤマの谷沿いにて捻挫。
明日までに連絡無ければ助けていただきたいです。
バッテリー温存のため電源切ります。」
と打ち、電源を切る。
ザックの中から救急バックを取り出し、鎮痛剤を飲み、包帯で足首をグルグル巻きにしてガムテープで固定。
少し足を動かしてみたが、まだ痛い。
(薬が効いてくるまで休もう、無理なら一泊だな・・・)
と、目を閉じようとしたそのとき、ある物に気がついた。
目の前に杖が立てかけてあった。
正確には木の棒なのだが、長さも太さもちょうど良い。
さらに『持ち手』までついている。
手にとってみると、削りだしたような跡が無い。
確かに自然物である。
しかし、やはり誰かが杖として作ったかのようにしか思えない造りだった。
まるで”今、現れたか”のように目の前にあった杖らしき枝。
不思議に思ったが、今はこれが必要だと思い、手にして歩いた。
車にたどり着くころには、辺りは真っ暗になっていた。
杖を立て掛け、お礼を言ってオクヤマをさった。
この話を先輩猟師たちに話したとき、「それはヤマガミが助けてくれたんだろうな」と笑っていた。
ただ、本当にそうだろうか。
私には「これでも使って、ととっと山から出て行け」と言われたような気がしている。
私はそれ以来、オクヤマに入ることはない。
ヤマノカミやミズガミといった自然神は、もともと人間に優しいカミではない。
気に入らないことがあれば平気で人を殺す「荒振神」であることも多い。
おそらく、再びオクヤマに足を踏み入れたら、今度は無事では出てこれない。
そう思ったからだ。