以前お話した「撥遣弾指(はっけんたんじ)」という術(まじない)のお話。
やり方は動画の通り、人差し指でパチンと音を出しながら、中央、右、左に3回「オンバザラ ボクシャボク」と唱えます。
本来は密教の厄払いや魂抜きをする際に使われる儀式であり、当時教えてくれた猟師の爺さんが、もともと山伏だったのか、それとも単なる酔っぱらいだったかは定かではありません。
しかし、私は今でも獲物の供養としてこの撥遣弾指を使っています。
話は変わりますが、そもそも「霊魂」というのは存在するのでしょうか?
これはあくまでも私の意見ですが、私は霊的なものが存在するとは思っていません。
正しくは、「あってもいいけれど、観測したことがないため、存在を証明できていない」だけです。
それではなぜ、霊を信じていない私がこのような術を行うのか。
それは、「霊」は存在しなくても、「呪い」は確実に存在するからです。
「呪い」とは、行動経済学や心理学と同じジャンルの「認知科学」の産物です。
例えば、私が農家さんの依頼で捕まえた獲物を処分する際、依頼主によっては「自分が殺生に加担してしまった」と心理的な「フック(引っかかり)」ができることがあります。
そして後日、それとは本来なんの関係もない病気や事故などが起こった際、「あのときの事が影響しているのではないか」と認知を歪めてしまうことが往々にしてあるのです。
こういった認知の歪みが積み重なっていくと、「ここで狩猟をしないでほしい」と言われたり、根拠もない悪い噂が広まったりして、最終的にその土地で活動できなくなったりします。
つまりは、わずかな心理的なフックが「認知的不協和」を生み、悪感情によってこちらの行動を規制する「呪い」へと変遷するわけです。
そのため、私が撥遣弾指を行うのは、一人でいる時ではありません。
あくまで「他人の目がある場所」で、周囲の人達の心理的なフックを発生させないために行うのです。
もちろん、そういう人達に、これまで述べたような認知科学を説明してもいいのでしょう。
しかし、「心理的なフックを発生させない」という目的のためには、合理的な説明よりも「作法」(宗教的な儀式)を見せる方が、遥かに効率的なのです。
狩猟は、地域住民や人とのかかわり、そして「日本」という組織の中で行います。
そのため、こうした認知科学的な事を軽んじると、後々とんでもない不和を生み出します。
これまで私の書籍では「狩猟の始め方」だったり「銃や罠の構造」みたいな話しかできませんでしたが、基本的に何を書いても問題ないこの場においては、今後もこのような話をしていければなぁと思っています。
なお、撥遣弾指で指をパチンと鳴らす動作ですが、実はもう一つ役に立つ場面があります。
それはキャバクラでオネエサンと話すとき。
パチンと指を鳴らしながら指をさすと、
「キャハハ、オニさんオモシローイ! 芸人サン?」
と、すごくモテます!
知らんけど。



